その常識、おかしいでしょ?

タタナカです。現代のタブーや、よく考えるとおかしい常識を批判したいです。

運は能力を遥かに凌駕する

運は能力をどの程度、凌駕するのか数値化するのは不可能だと思うけど、能力がなくても成功している人は多数いて、その逆、つまり運がなくても成功している人というのは、ほとんどいないかと思います。

風水ではないけど、運を上げるという行為自体が能力だと言ってしまえば、それまでだけど、果たしてどれだけの人がそこに目を向けてがんばっているかは甚だ疑問だし、その能力も運によるところが大きいのは周知の事実だ。

人生は所詮ギャンブルで不確実性が多くを支配しているのは、生きていれば当然の如く感じることだけど、偉人とかに運を当てはめたがらないのは、きっと現代の価値観で生きる人間の性分なのだろう。

価値観は変わるし、もし運やその他人間の持つすべての能力を数値化できたとしたら、偉人のうちの何割かは凡人として取り扱われる日が来るかもしれない。
例えば、「スティーブジョブズと同じ境遇で同じ運を持っていたら、米国に住む人間のうち1割の人は同様の業績を残せるというのが研究の結果、明らかになった。」とかね。
なんだ、ジョブズって大したことないじゃん。みたいな。

貧困のループから抜け出せない人間を社会は自己責任という言葉で片付けるけど、果たして本当にそうなのか。根拠はないけど日本の社会を10段階に分けたら、2以上の家に生まれる人が99%で社会はその99%の人たちで構成されていると思う。

「残りの1%は運が悪いけど、抜け出せるチャンスはたくさん与えられている筈。だって、それが民主主義でしょ。いつまでもそこに居続けるのは自己責任だね。」というのが大半の意見のように感じられるけど、運が悪いって言うのはもうちょっと事情が複雑なような気もする。

まず貧しい家庭に生まるということは、能力が低く生まれる可能性が高い。
次に、学校でさまざまな理由でイジメられる可能性が高くなる。もしくは自分を守るために極端な強者を演じるしかなくなる。
つまり、普通でいることが難しい状況がやってくるのが当たり前なのだ。
もし分かってくれて、互いに色々な知識を提供し合える友人ができたなら(普通の人たちには当たり前の友人だ)それは運が良いのだ。

イジメを受けても不良になったとしても、そのレール上にはいわゆる一般的なコミュニティは存在しない。
能力も低い可能性が高いため勉強しても思うようにいかない上に、それを社会は「自己責任」と言う。能力とは運の上で成立しているものはみんな承知の筈なのに、この「自己責任」という言葉の中に運は介在していないという矛盾がある。

所得の低い家庭で生まれる子は能力が低い可能性が高い。

この言葉は差別を生む危険性を孕むけど、その危険性のために問題を掘り下げることができなくなる。

ぼくの知り合いの中にはいないが、最貧の層の人が自分に降りかかる全てを社会や環境のせいにしていたなら、その人はきっと周りから「あいつはダメな奴」という烙印を押されるだろうけど、もしかしたら本当のことを言ってるだけなのかもしれない。

もし将来、運やその他すべてを数値化できたなら、最貧の層の人から何とか抜け出した人がジョブズよりも凄い奴になるかもしれない。