その常識、おかしいでしょ?

タタナカです。現代のタブーや、よく考えるとおかしい常識を批判したいです。

今日は晴れ

晴れたからバイクをいじります。

CB400SSを買って色々いじって休日を過ごしていますが、W650を買っておけばよかったかも。と何回おもったことでしょう。でもいじればいじるほど愛着が湧きます。

乏しい語彙で表現するなら、人間の心複雑すぎwwwワロタwwww

ですね。

もう売るに売れない!!

運は能力を遥かに凌駕する

運は能力をどの程度、凌駕するのか数値化するのは不可能だと思うけど、能力がなくても成功している人は多数いて、その逆、つまり運がなくても成功している人というのは、ほとんどいないかと思います。

風水ではないけど、運を上げるという行為自体が能力だと言ってしまえば、それまでだけど、果たしてどれだけの人がそこに目を向けてがんばっているかは甚だ疑問だし、その能力も運によるところが大きいのは周知の事実だ。

人生は所詮ギャンブルで不確実性が多くを支配しているのは、生きていれば当然の如く感じることだけど、偉人とかに運を当てはめたがらないのは、きっと現代の価値観で生きる人間の性分なのだろう。

価値観は変わるし、もし運やその他人間の持つすべての能力を数値化できたとしたら、偉人のうちの何割かは凡人として取り扱われる日が来るかもしれない。
例えば、「スティーブジョブズと同じ境遇で同じ運を持っていたら、米国に住む人間のうち1割の人は同様の業績を残せるというのが研究の結果、明らかになった。」とかね。
なんだ、ジョブズって大したことないじゃん。みたいな。

貧困のループから抜け出せない人間を社会は自己責任という言葉で片付けるけど、果たして本当にそうなのか。根拠はないけど日本の社会を10段階に分けたら、2以上の家に生まれる人が99%で社会はその99%の人たちで構成されていると思う。

「残りの1%は運が悪いけど、抜け出せるチャンスはたくさん与えられている筈。だって、それが民主主義でしょ。いつまでもそこに居続けるのは自己責任だね。」というのが大半の意見のように感じられるけど、運が悪いって言うのはもうちょっと事情が複雑なような気もする。

まず貧しい家庭に生まるということは、能力が低く生まれる可能性が高い。
次に、学校でさまざまな理由でイジメられる可能性が高くなる。もしくは自分を守るために極端な強者を演じるしかなくなる。
つまり、普通でいることが難しい状況がやってくるのが当たり前なのだ。
もし分かってくれて、互いに色々な知識を提供し合える友人ができたなら(普通の人たちには当たり前の友人だ)それは運が良いのだ。

イジメを受けても不良になったとしても、そのレール上にはいわゆる一般的なコミュニティは存在しない。
能力も低い可能性が高いため勉強しても思うようにいかない上に、それを社会は「自己責任」と言う。能力とは運の上で成立しているものはみんな承知の筈なのに、この「自己責任」という言葉の中に運は介在していないという矛盾がある。

所得の低い家庭で生まれる子は能力が低い可能性が高い。

この言葉は差別を生む危険性を孕むけど、その危険性のために問題を掘り下げることができなくなる。

ぼくの知り合いの中にはいないが、最貧の層の人が自分に降りかかる全てを社会や環境のせいにしていたなら、その人はきっと周りから「あいつはダメな奴」という烙印を押されるだろうけど、もしかしたら本当のことを言ってるだけなのかもしれない。

もし将来、運やその他すべてを数値化できたなら、最貧の層の人から何とか抜け出した人がジョブズよりも凄い奴になるかもしれない。

クーデターについての詳細を伝えるだけのマスメディア

テレビを見るとタイのクーデターについてのニュースが飛び込んできます。

これはとても自然なことで意義があることだと思いますが、気になるのはクーデターの詳細や進捗を伝えるだけでマスメディアが終わってしまってること。

もちろんすべてのニュースを見ただけではないので、その先を言及しているニュース番組もあったかもしれません。というかあると願いたいです。

殺人事件やASKA覚せい剤事件に時間を割くヒマがあったら、軍事政権が日本にもたらす影響、ひいては世界にもたらす影響を伝えるべきかと思います。

ここ数年、タイに対する日本や諸外国企業の進出はすさまじいものがあったのは、周知の事実です。極端なことを言うとクーデターで死人やケガ人が出ようが、ぼくらの生活にはほとんど関係はありません。問題は軍事政権が日本や世界にもたらす可能性をすべて書き出し、それに対して、日本や世界はどのような対応ができるかです。

過去の軍事政権を遡ってみても良いかもしれません。
表面ではなく、その先の可能性を与えることで、一般の人ははじめて自分の頭で考えることができるのに、そのことについてマスメディアは何もしません。
もちろん、ぼくと同様の違和感を感じる人は少なくないかとは思いますが、まだまだ少数派だと思います。

ぼくはメディアは国の基盤となり得る重要な産業だと思っています。
だからこそ、がんばって欲しいのです。
メディアが情報を伝えるだけであれば、もしかしたら、クーデターの事実のみを報道すればよいのかも分かりません。

しかし、ぼくはマスメディアは教育を終えて社会に出た人たちに、(無意識的に?強制的に?)教育を与えられる唯一の手段だと考えています。

国力の基礎を築くのは教育です。
OECDの結果をみる限り、日本の教育は悪くないようです。
しかし、社会人になってからの無関心は世界でも有数ではないでしょうか。
無関心でいる方が楽なので、無関心でいる方が難しいような環境に人々を誘導する必要があります。そのためにはマスメディアに一本芯の通った理念が必要です。

しかしながら、悲しいですが本音を言うと、もうマスメディアが踏ん張る時期は通り越して、時すでに遅しだとも考えています。テレビをみない世代が量産されてしまった今の日本では、右肩下がりを止めることはほぼ不可能でしょう。

現状のビジネスモデルでは、生き残りの方法は一つだと思います。

「子供にテレビを見せたい」と親に思わせる

つまり、親の子供への教育の道具の一つに特化することです。
個人の主観ですが、もし子供ができたとしたら、NHK以外は特に見せたいとは思いません。

その他の民放は社会的に存在意義のない企業とまでは言いませんが、娯楽を主とする企業の一員だと思います。
つまり、ぼくの中ではパチンコやレジャー施設を運営する企業と同業種に分類されています。

人の心の奥底

人は誰しも心の奥に闇があるというのは本当でしょうか。

もし、誰しもが心の奥に闇を持っているというのであれば、それほどありきたりなモノを闇なんてたいそうな呼び方をすることに違和感を感じます。

 

つまり、単なる悩みです。
誰しも悩みは持っていると思いますが、その悩みは人それぞれです。
人それぞれですが、カテゴリで分ければ10種類もいかないのではないでしょうか。
生きる上で悩むのは普通のことです。

考える生き物である限り、悩みはありますし、もしかしたら、子供を育てるエサをハンティングできないチーターのママにも悩みがあるかもしれません。

みんなが悩みを持っているのだから、それに負けずにがんばるしかないですね。
とは思いません。

そのくだらない悩みを他人と共有しようとする、その姿勢を改めろ。と思ってしまいます。

友達に相談して返ってくる返答は、いつも自分で考えた範疇を出ません。
ずっと悩み続けている自分の問答と、パっと今聞いただけの友達の返答、当たり前といえば当たり前なのですが、それが本質だと思います。

言葉はいつも言葉でしか通じ合えないのは、はがゆいものです。

言葉はいつも本質の周りをウロチョロしているだけで、気持ちの本質を言い当てるものが存在しない気がします。

カタチのないものだからこそ、言葉で表現したいのに、うまく伝わりません。

そうして、外に出ていけなくなった悩みが、もっと奥深いところに埋もれていって、いつか心の闇を形成するのだと思います。

だから、私は心の闇を持っている人を応援したいと思います。

自分と真摯に向かい合っている証拠だと思うからです。

結果として、何の手助けもできませんが、そういう人は好きだ思いながら接しています。

上っ面の悩みを打ち明けて、半分、自己陶酔の人たちを軽蔑しながら生きていきます。

 

Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKENが好きです

若い頃は雑食のように邦楽も洋楽も男性歌手も女性歌手も貪りました。

結果、現在聞く音楽はMr.ChildrenBUMP OF CHICKENです。

 

彼らの曲には何か信念のようなものを感じことができるから好きです。

「今を楽しもう!人生はハッピー」的な歌しか歌えない歌手や、「恋や愛」についての歌しか歌えない歌手はどうも好きにはなれません。

 

女性歌手の方が声がきれいで癒されるので、好きなのですが、ぼくが聞いたほとんどの曲は「男」について綴っている歌でした。

 

おそらく歌詞をかくときに一番簡単なのは「恋や愛」について歌うことなのでしょう。誰にだって共感できるし、誰だって経験しているので。

別になんのがんばりもなく経験できる行為だからこそ、すばらしい歌もたくさんあるのですが、何曲も書いているのに、その全てが男や女の内容だと、その人自身が薄っぺらく感じしまいます。

 

世界や人類、日々の雑感、心の奥底、人間とは何か、生き方や死に方など、ありきたりな感性を持たない芸術家であるならば、人と違った見方で本質に近い部分に触れるような歌を歌ってほしいものです。

 

偉業は存在しません

どんなに偉業を成し遂げようとも、どんなに平凡な人生でもどちらの人生も同一です。大した違いはありません。

自分の存在を肯定しようとしたとき、他の誰かにどれほどのモノを与えられたかで、その人の価値が決まると思います。

 

では、過去の偉人が成し遂げた偉業でぼくらは何を得たのでしょうか。

先進国の人々は便利を得ました。

でも、便利は幸せになるための手段であって、目的ではありません。

幸せの物差しは他者との比較に基づくので、過去の偉業でぼくらは幸せにはなっていません。だから何も得ていません。

逆に途上国の人々は、先進国の人々に差を付けられたことにより、多くのものを失いました。

そして、その溝を埋めるのは、とてつもない困難を伴います。

先進国は何も得ていないのに、途上国は失っていると書くと矛盾しているようですが、人の特性として「上」ばかりを望み、「下」にはあまり目を向けないので、矛盾はしていません。

 

地球単位でみたときに、大半の偉業はトータルでマイナスです。

GHPという言葉を借りて考えれば、マイナス成長ばかりです。

だから、どんな偉業も疑いなく賛美するのはやめましょう。

本当にグローバルな視点に立ったなら、その偉業は私たち全体を不幸せにするものがほとんどです。

 

一点例外を認めるなら、芸術や音楽だと思います。

芸術や音楽にマイナス面はほとんど存在しません。

思想や哲学までいってしまうとマイナス面が大きく出てきますが、それは思想や哲学を音楽や芸術と融合しただけで、音楽や芸術ではありません。

 

生命には限りがあります。

ですから、欲求は最大限押し出して生きるべきです。

例え、人に迷惑をかけようが、迷惑程度であれば、欲求を優先するべきです。

何を達成しようが、人生に価値の差は生まれないのであれば、せめて自分にとっては価値ある人生を歩むべきです。

人生とは何をしようが、本質的に大して価値のないものなのだから。

白人が美男美女にみえる理由

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白人は美男美女が多い

日本人と比べると白人は美男美女が多いですよね。
白人というと曖昧な概念になるので、白人を含むコーカソイドは、小顔で彫りが深くて、鼻が高くて、手脚が長くて、美男美女の比率が日本人と比較すると段違いです。

世界の女子バレーボールなどを見てると分かるのですが、日本で美人選手と呼ばれる人をベラルーシの選手と比べると、ほぼ全員、日本の美人選手よりも美人です。

コーカソイドに美男美女が多い理由

上記の通り、コーカソイドの特長と、いわゆる美男美女の特長は実にマッチしていますね。人種としての特長がそのまま美男美女の特長なので、モンゴロイドと比較して、美男美女が多いのは当然のことです。

で、私の周りにも多い勘違いが、美的感覚を普遍のものとして考えていることです。
たしかに一生涯に渡って、美的感覚はほとんど変わることはありませんが、現在の美人と江戸時代の美人とでは、イコールではありません。
江戸時代の美人も、現代においては普通かブスになります。

つまり、美男美女の定義を作ったのはコーカソイドなのです。
彼らが、今日の私たちの美的感覚をも支配したということですね。

なぜコーカソイドっぽい人が美男美女に見えるのか

ものごころがつく前からテレビやポスターなどで美しいと言われる人たちの活躍を、否が応でも見てしまいます。そこで活躍する人々は往々にして、コーカソイドっぽいモンゴロイドです。

そして、美的感覚がコーカソイド寄りに洗脳されていき、今の私たちの美的感覚が構築されていきます。

モンゴロイドの悲劇

美的感覚がコーカソイドに支配されているのに、日本で普通に暮らす私たちの周りには、自分を含めて、そのほとんどがモンゴロイドで形成されています。

これは、とんでもない悲劇です。

男であれば、自分がイケメンと感じる確率は、コーカソイドのそれと比較して、飛躍的に落ちてしまい、また、周りの女性に対しても、美しいと感じる割合いが、コーカソイドのそれと比較して、飛躍的に落ちてしまいます。

これは、とんでもない悲劇です。

日本人女性が外国人からモテるという妄想

知恵袋などでもこんな回答があります。
知恵袋:白人は美しいのに何故日本人は醜い?

映画に出てるのは女優さんや俳優さんなので
美男美女なのは当たり前かと。。。

一般人は美男美女ばかりではありません。

特に北米の白人は25過ぎると肉の食べすぎで肌がぼろぼろになりぶくぶくに太ります。

アメリカ人の60%以上が肥満です。

ヨーロッパの人は気をつけているので
北米の人みたいにそこまでぼろぼろにならないですが。

ロシア人はいつまでたっても細くて綺麗な人が多いかも。

日本人はいつまでたっても細くて若く綺麗だと思います。
日本人の女性は外国人男性にもてもてです。

こういった勘違いの女性を見ると、滑稽でなりません。
日本人女性は白人(欧米系のコーカソイド)からモテるにはモテるのですが、その理由はすぐにヤラせてくれるからです。

有名な海外旅行のガイドブック、「地球の歩き方」にも注意喚起がされていたのですが、これまで海外に出かけた日本人女性が白人にすぐ股を開いてきたため、日本人女性を見るや、カンタンにヤレると思って白人男性が寄ってきます。
それぐらい日本人女性の白人に対する尻軽具合は有名なんです。

それを知らずに日本人女性はモテると言い放つ日本人。
滑稽でなりませんね。

白人から見たら日本人はブサイクに見えないという妄想

よく「日本人の美的感覚と白人の美的感覚は違うから、日本人を見ても(私たちが思っているような感覚で)ブサイクには見えない」といったことが聞かれますが、これはある意味真実で、ある意味ウソです。

「私たちが思っているような感覚で」ブサイクには見えないのは真実です。
まだ白人を見慣れていなかったころ、すべての白人が同じような顔に見えている人も多かったと思います。また、レオナルド・ディカプリオマット・デイモンの区別がつかない日本人は多いです。

それらと同じように彼らも日本人(モンゴロイド)を見慣れていない場合は、顔の区別がいまいち分からず、皆同じように感じてしまいますので、私たちが思っているような感覚とは違い、美男美女の区別はなく、モンゴロイドは一様にブサイクに見えています。

白人からモンゴロイドがブサイクに見えるという根拠はダウン症です。
ダウン症は英語で「モンゴリズム(mongolism)」と呼ばれていました。

ダウン症患者の顔はどの国でも美しいとはされません。

白人はダウン症患者の顔がモンゴロイドに似ていることから、モンゴリズムという名前でダウン症のことを呼んでいた事実があるので、モンゴロイドが皆一様にブサイクに見えているということはほぼ間違いないですね。

白人から「そんなことないよ!」と否定された経験のある方がいたとしたら、それは貴女とヤリたいスケベな白人男性かもしれませんね。

それでもやっぱり白人的特徴を持つ人を美しいと感じてしまうのでクリックお願いします

白人は美しく見えてしまうのは仕方ないとして、クリックしてもらえたら、モンゴロイドのIQで世界を席巻できるかもしれません。

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