偉業は存在しません
どんなに偉業を成し遂げようとも、どんなに平凡な人生でもどちらの人生も同一です。大した違いはありません。
自分の存在を肯定しようとしたとき、他の誰かにどれほどのモノを与えられたかで、その人の価値が決まると思います。
では、過去の偉人が成し遂げた偉業でぼくらは何を得たのでしょうか。
先進国の人々は便利を得ました。
でも、便利は幸せになるための手段であって、目的ではありません。
幸せの物差しは他者との比較に基づくので、過去の偉業でぼくらは幸せにはなっていません。だから何も得ていません。
逆に途上国の人々は、先進国の人々に差を付けられたことにより、多くのものを失いました。
そして、その溝を埋めるのは、とてつもない困難を伴います。
先進国は何も得ていないのに、途上国は失っていると書くと矛盾しているようですが、人の特性として「上」ばかりを望み、「下」にはあまり目を向けないので、矛盾はしていません。
地球単位でみたときに、大半の偉業はトータルでマイナスです。
GHPという言葉を借りて考えれば、マイナス成長ばかりです。
だから、どんな偉業も疑いなく賛美するのはやめましょう。
本当にグローバルな視点に立ったなら、その偉業は私たち全体を不幸せにするものがほとんどです。
一点例外を認めるなら、芸術や音楽だと思います。
芸術や音楽にマイナス面はほとんど存在しません。
思想や哲学までいってしまうとマイナス面が大きく出てきますが、それは思想や哲学を音楽や芸術と融合しただけで、音楽や芸術ではありません。
生命には限りがあります。
ですから、欲求は最大限押し出して生きるべきです。
例え、人に迷惑をかけようが、迷惑程度であれば、欲求を優先するべきです。
何を達成しようが、人生に価値の差は生まれないのであれば、せめて自分にとっては価値ある人生を歩むべきです。
人生とは何をしようが、本質的に大して価値のないものなのだから。